おもいだしたくもないこと#3
また更新が滞ったが、弁護士に裁判の日程を聞かされました。
犯罪被害の内容はこちらを参照してね。
裁判では被害者への質問と、意見陳述とで2日間出廷しなければいけないようです。
働き出したばかりで有給のない私はわざわざ欠勤してまで行くのですが、
被害者支援としては交通費だか負担費用だかでわずか約1600円ほどしか支給されないようです。
被害に遭った地域から遠くに引っ越した私には、マイナスでしかないです。
が、やはり被害者本人が出廷することや本人自身が意見陳述を読むことで有利というか、意味があると聞かされてます。
それに私自身も、思っていることはもうここでしか出しきれないという思いでいます。
実際に意見陳述というか心情陳述を書いてみて、酷な表現しか出ませんでした。
こんなことが法廷の場で通用するのかわからないけど、弁護士曰く陳述において制限はないとのことだったので、自分のうちに秘めている、黒い部分を全部出し切ろうと、膿だしの気持ちで書いてみました。
弁護士も言ってたけど、陳述書を書くって、またその事件や嫌なことを思い出さなければいけないから、ばーっと書いてしまった方がいいとのことで、
泣きながらも、ワードに文字を打ち切りました。
その方が、犯人はもちろん、聞いている人にも素直な気持ちが伝わる気がして。
でもやっぱり、犯罪を犯しておいて、酔っていて覚えてないなんていうやつだから、心に響くようなものではないと思う。
だから少しでも、犯人自身が聞いていて恥に思うようなことを言ってやろうと。
当日、自分も泣いたり発狂したりして伝わりにくいのだろうけど、この文章だけは届けたいと思う。
書いていて思ったけど、やっぱり日本の司法、まだまだ甘いと思う。
とくに執行猶予だとか、釈放制度だとか。
極論、一発死刑だったら犯罪なんて生まれないよ。
釈放金払って、職場には自分が犯罪者だとばれることもなく、のうのうと働いたり生きている犯罪者ってこの世にどれだけいるんでしょうね。
被害者は被害に遭うだけ、その後の警察・検察・弁護士・カウンセラーやらのところに出向かわされ連れまわされ、謝罪は誰からもなく、わけのわからないまま事が事務的に進んでいく。
犯罪者に対する支援なんて、病院への通院日と、2000円にも満たない出廷費用だけ。
被害者の会とか、デモとか、起こしたところで何になる?
罪を犯した本人が自分と同じ気持ちや経験をしない限り私は納得しない。
仕事クビになったり、懲役くらったところで、またすぐ出てきて、適当に金稼ぎ出して、のうのうに暮らし始める。普通の人に混じって。
目には目を、なんて制度は間違ってなかったはずだと思う。
極刑が死刑なのもおかしい。
自分と同じことを経験させるか、犯罪ができないように手足を切り落とすべきなんじゃないのか。
ほらね、被害にあった方がこうやって思いをここに書くだけ。
辛かったね大変だったね、なんて励まし合いの機会はいらないんだよ。
自分を苦しめた当本人が、どう苦しんで生きるかしか、被害に遭った本人にしかわからないゲスなものがあって
こういう気持ちの人がきっと世の中たくさんいる。
犯罪撲滅運動!とか、もはやそんなんじゃなくて
被害者の会みたいな傷口の舐めあいじゃなくてさ
もっとダイレクトに罪人に伝わる何かってないのかね。
私は、自分の裁判の、時間の限られた意見陳述の場でしか自分の気持ちを直接ぶつけられないわけで
どういう意味か、制限はないと言われたけど
24時間ぶっ通しで意見を言えるわけでも、1時間ずっと死ね!って発狂できるわけでもないんだろうし
被害者の意見って、結局ダイレクトに犯罪者には伝わらないんだ、と感じました。
このブログは、被害に遭った自分がちょっとこう思ったことを書いて吐くようなところだけど、
いろいろ犯罪被害に対して調べると堅苦しいものとか偽善みたいなものしかインターネットになくって
こういうリアルな意見欲してる人が、いつか見つけてくれたらいいなと思ってる。
アフィリエイトとかじゃなくてさ、なんかこうグーグルで漠然と調べた時に、専門的なことよりも、自分と同じ考えだったり共有できること書いてる人を見つける方がほっとするんだよね。
だから私は、この裁判が実際どうなったかもちゃんと後日書きたいと思います。
定期更新とかじゃないけど、また落ち着いた時に。
もし同じような人がいて、この記事にたどり着いたのなら、吐き出せないことコメントにぶつけていいから、吐き出せるところがなかった私だから、コメントじゃなくても私みたいにブログを開設するとか、そういうのが意外と心身ともに病まないためにも大事なんじゃないかと。
まあこの前、メンタルあれして病院運ばれたけど。
思ったことがネットしかないって、いやな時代だね
思い出したくもないこと#2
また更新滞ってました。
今日は2つ目の犯罪被害について。
これはわりと最近のことで、これから裁判、というところなので細かくは書けないのですが、
事件の内容というよりは自分の思うことを書いてみますね。
内容としては、
夜道を歩いていたところ急に男の人に後ろから襲われ、
必死に叫んで逃げ切った事件。
胸と股を思い切り掴まれて、押し倒されて、その時に怪我をした為
罪名は強制わいせつ致傷です。
相手の男は逮捕されたのだけど、40歳の、大手企業に勤めてる人でした。
これをきっかけに私、またPTSDだったり抑うつ状態、急性トラウマになりました。
といっても事件から2ヶ月経った時にやっと病院に言って、わかったことですが。
とにかく事件の後は家から出られないし、宅急便も受け取れないしで、
動けない自分に嫌悪感抱いて、ストレスだし
性格上周りに心配はかけたくないので、家族には報告はしても平気な顔してたり。
経験としても怖かったし、それに大人だからこれからの法的な手続きは全部自分でやらなきゃとか、
精神的にもひどい状態だし、ほんとに心の底から孤独で辛い思いをしてました。
そして同時に、男性に対しての嫌悪感とか、憎悪とか、ものすごく嫌な気持ちがこみ上げてきて
問題や犯罪を起こすのはいつも男だし、男なんてみんな死ねよ!と思う毎日になって。
フェミニストのSF小説とか読み漁ったり、平塚雷鳥なんかも読んでみたり。
そうやって思うことが、ストレス発散というか。
そうでなければもう、どうにかしてしまいそうで
そしてたまにパニックを起こしたり、自殺みたいなことしようしとしたり。
薬をもらってちゃんと飲んでても、しばらくそんな感じで、今になってやっと落ち着いたな。
就職してやっともとの生活を取りもどしたかんじ。
日々忙しく仕事して、帰ってお酒のんで、また仕事にいって。。考える隙をなくす生活です。
相手の男は起訴されたにもかかわらず、「酔ってたから覚えてない」「やってない」しか言わないようで。
これからいよいよ裁判で、私はどうやって戦うのかまったくわからないし不安だけど
相手には死刑になってほしいと思うくらい、私はそれくらい大変な思いをしたし
死刑になんてなるはずないし、むしろどうせ執行猶予とかだろうけど、
被害者参加して、相手が一生心に残るような、死ぬまでこの罪ややったことの後悔を背負わせるようなことを言ってやりたいなと。
今はそれくらいに強くなった。どんな風に痛めつけてやろうかと考えてる。
本当なら本名も年齢も住所もわかってるから、いろんなところに書いたり、嫌がらせしてやりたい気持ちだよ。
そいつの親にも、こんな子供に育ててしまい申し訳ないと言わせたい、思わせたい。
それは私が子供の頃に被害に遭ったときの犯人にも同じことを思う。
この前、偶然朝の通勤途中で痴漢したおっさんが捕まってるところに遭遇しました。
性犯罪者はみんな死ねばいい。
生きてることが、恥だと思わないの?自覚ないの?
自分の欲求すら抑えられない性犯罪者は、もう手足を切り落としてしまえよ。
そいつの一時だけの欲求だったり衝動で、被害にあった側は一生傷を負っていくなんてさ。
やるせないね〜
どんな犯罪の被害者側も、満足するのって死刑になることじゃなくて
犯人が被害者とまったく同じ経験をして、辛い思いをすることだと思うね。
裁判が終わっても、損害賠償どれだけもらおうと、一生忘れられないんだから。
犯罪者は生まれてきたことを恥じてください。
耳の病気のこと
前のブログで触れたのか、触れてないのか、読み返す気もないのでわからないですが、
今回は自分の病気について書きます。
カテゴリも作ったので、ちょくちょく書けたらなと。
たぶん同じ悩みを持っている人たくさんいると思うし、もしその人たちがたまたまここを見つけてくれて、共感することによって気が楽になれたらいいかな。
わたしは生まれたときからいたって健康でした。
まあ子供のころに事件に巻き込まれ、嫌な思いはしてきたけど、
子供のわたしは精神的な病気とか知らないから、
風邪もあまり引かないし、骨折も入院もしたことないから、健康なんだなと思ってました。
大学3年生のころです。いよいよ就活に向けて動き出すころ。
急に耳鳴りが始まりました。
キーーーーンみたいな、鳴り止むときは鳴り止むけど、続くと1日続いたり。
バイトで疲れてるのかな〜なんて放っておいてました。
1ヶ月も経たないうちに、ボーーーっという、低い耳鳴りと、耳が塞がったような感覚に変わりました。
人の言ってることも聞き取れないくらい。
そのときにやっと病院に行って、低音性感音難聴(?)と診断されました。
たしかステロイド処方されて、とりあえず様子見となって。
でも、鳴り止まず。
耳鳴りなんて大したことないと思って、そのまま普通の生活を続けていて。
そのあと、お酒大好きだから、夜更かしして、たしかカラオケで死ぬほど飲んでタバコ吸ってたな。
その翌日です。
朝起きてトイレに行くとき、世界が回ってました。
二日酔いにしては信じられないくらい、立っていられなくて、とにかく視界が回ってる、今までに感じたことのない感覚、、
めまいでした。。
そのとき一緒にいた当時の彼は、ただの二日酔いでしょうと言っていて、
とりあえず飲み物と二日酔いによさそうな食べ物を買ってきてくれて。
でも、二日酔いなんかじゃ絶対ないって完全に思ってたし、
与えてくれた飲み物・食べ物全部戻してしまい、、
嘔吐恐怖症のこのわたしが自動的に戻すなんてただ事じゃないし、
どうにか今やばいことを彼に伝え、救急車を呼んでもらいました。
救急車の中でも気持ち悪くて、嘔吐できるように洗面器みたいなの持たされてたけど、
嘔吐恐怖症だし怖いし、初めての救急車だし、もうげっそりでした。
病院につくと、なぜか耳鼻科に連れられました。
今まで耳鳴りがしていたこと、処方された薬を伝える。
医師は、メガネの30くらいの冷たい女で
でっかいゴーグルみたいなのつけさせられて、気持ち悪いのに頭を動かされた。
今思えばあれは眼振の検査だったけど。
とくにどこがどうとか、病名は何とかも言ってくれず、脳の検査をすると言われ車椅子でCT検査室へ。
初めてのCTだし、横になると相変わらずグルグルしてるし、CT室の天井が空と雲の絵になってたことしか覚えておらず。
その後診察室的なところで脳に異常がないことを告げられ、めまい止めの点滴をしてもらい、市民病院の紹介状をもらった。
ここでも病名は告げられず、とりあえず大きい病院の耳鼻科へ行けと。
もしつらければ、入院もできるけどどうする?との問いに、当時一人暮らしだったわたしは即、入院したいです!と言うも、
入院を提案したくせに、お金もかかるしそこまでする必要はないと言われ
結局付き添ってくれてた彼氏と一人暮らしのアパートに戻り、
彼氏は疲れた顔でわたしを置いて帰ってしまいました。
一人きりになって、ものすごい孤独になったの今でも覚えてる。
そこで一緒にいてくれなかった元彼、、なんでわたしと付き合ってたのかしら、、
これがわたしの人生初めての病気で、
この後何年もこの原因も病名も不明な病に悩まされるなんて、このときは思ってもいませんでした。
続きはまた書こうーっと
思い出したくもないこと
カテゴリの通りですが、わたしは犯罪被害に遭ったことがあります。
2回あります。
25年間生きてきて、かなり自分の性格なんかに影響した出来事。
これは誰かに共感してもらいたくて書くわけじゃないです。
今まで溜め込んできたものを吐き出したいのもあるし、
ブログ開設にあたっての記事でも書いたように、
同じような悩みを抱えている人が
たまたまこの記事を見つけた時、同じ人もいるんだという安心感を与えられたらと思ったから。
人って生きてるうちに辛い思いとか経験なんてたくさんするだろうけど、
その度に誰かに相談しても、100%はわかってもらえないと思うんですよね。
同じ思いや経験をした人にしか、その辛さとか悩みとかってわかりあえない。
そう思うからこそ、誰でもいいから同じ経験した人ってだいぶほっとする存在というか、
安心できる場所になる気がするんです。
わたしの場合は自分の悩みを家族にも、誰にも100%打ち明けられなかったから、
ここに書いて、もし同じことで悩んでる人がいたら、ここにぶつけてほしいなあと思って。かきます。
最初に被害にあった時のことをかきます。
これがだいぶ後々の自分に影響したと今でも思ってます。
強制わいせつか、たしか強制わいせつ致傷です。
詳しく書いたら身バレしそうなので、端折って書きます。
小学校の高学年くらいの冬、お母さんと妹と冬休み中にドライブへ出かけました。
とんでもない田舎に住んでたので、何かの用事のついでにドライブしつつ家に帰っていた、というのが正しいですね。
田舎は基本的には車移動が主流で、歩いてる人ってあんまりいないんです。
でも、その日母が田舎道を車を運転していると、前方に歩いている男の人。
急にヒッチハイクのような手振りをしてきました。
母が驚いて車を止めると、遠慮なく男が乗り込んできて。
その後どうなったかというと、車の中でわたしは馬乗りになられて襲われ(といっても胸を思いっきり揉まれた?)、逃げ出そうとしたところで思いっきり蹴られ、それでもコンビニまで走って逃げて無事犯人逮捕、という経験をしました。
恐怖のあまり記憶は曖昧ですが、その出来事は強烈な印象をわたしの人生に残したんですね。
たしかその後犯人は起訴されて、裁判の後慰謝料か何かをこちらは受け取ったんだと思います。
でも当時小学生のわたしにはそういった法的手続きは詳しく説明されず。
事件のあとは普段何も買ってくれないのにゲームを買ってくれたり、家族でディズニーランドへ行ったりした。
今思えば両親はそれでわたしと妹の傷が癒えると思ったんでしょう。
そしてその後、家族の中でその事件について触れられたことは一度もないです。
一度も。わたしの家族の中ではもうそれはタブーと化してます。
今でも家族の前で話す気にはならないです、わたしだけじゃなく家族全員が。
もうあのことはなかったことにされてる。
本当の苦しみはここからで、その後わたしは訳も分からない恐怖に怯えることになる。
事件後買ってもらったゲームをしてても急に怖くなるし、
外で男の人が後ろにいるだけで心臓バクバクしたり。
一人で電車に乗っている時に酔っ払いの男が隣に座っただけでパニックになり、
泣き叫びながら家に帰ったりとか。
あの”酒臭さ”にだいぶ敏感になって、夜の電車なんかは恐怖でしかたなかった。
そのときはこの事件が原因なんて自分自信理解できなかったんですよね。
今思えば確実にPTSDや急性トラウマだったと思うんだけど
うちの両親は前述の通りだいぶドライで、過保護とは真逆の感じで
そういう精神的な病は気持ちの問題、みたいな捉え方をする人で。
両親というかとくに母親が。父はもはや家族のことには無関心だったから。
今でもこの話はタブーだし、未だにわたしは当時の記憶が蘇って悪夢のようにうなされるけど、相談できず終いで。
最近あることがきっかけで精神科とカウンセリングに通うようになったのですが(これもブログで書こうと思います)、
臨床心理士の方には、それはわたしの母がちゃんとケアしなかったからだと言われました。
自分でもそう思いますね。
母は、強く生きろ、という教育方針で
わたしがいじめられて帰ってきても、お前が泣いてどうすんだ、という感じで。
常に強く生きることを強いられてきました。
だから18歳になって高校卒業したら一人暮らしをする、というのがルールだったし。
一人前になって、とにか強く生きて行くことが人生において大事なんだ、という教育方針。
でも、そんな子供の頃に経験した強烈な事件って、一生心に残るものです。
なんなら今でもそれによって精神的に病んだり、人の目が気になったりするのもそのせいだろうしね。
まあもし、自分の子供が同じような目にあって
たまたまこの記事にたどり着いたならその親に言いたいのは、大事なのは
怖かったよね、と共感してやることです。
いじめられて泣いて帰ってきても、
負けるな!なんかじゃなくて、とりあえずは
怖かったね、辛かったね、いやだったよねって共感してやること。
強くならなきゃ、なんてのは親が言うことじゃなくて
本人が自覚することが大事だから。
誰にも恐怖をわかってもらえなくて、とくに長女みたいな責任感強い子に関しては
自分のなかで一生懸命解決しようとして、いずれぶっ壊れる。
現にわたしは無意識にぶっ壊れて、今精神科通いです。
精神科に行くようになったのも、第三者の人のアドバイスのおかげであって
母は精神病みたいな類のものは全て気の持ちよう、っていうスタンスの人だったから
自分がこんなところに通うとも思ってなかったし。
わたしはそういう親の教育のもと育ったから、未だに鬱とかそういうのって心とか自分の問題だと思ってしまう。
でも専門家に聞く限り違うらしい。
自分の親が間違ってたらしい。
親にとっても、自分の子供が経験した嫌なこと、怖いことに共感するのって負担だし、
うちの親はそれを避けて、嫌な言い方だけど楽してきたんだよね。
しっかり向き合わず、強くいろっていうだけだったから。
本当に愛のある親でいたいなら、子供の傷を癒すなら、その子の恐怖や辛さを共感しろ。
わたしの親はそれができなかったし、それを避けてきた。
楽して子育てしてきたんだな。
そのクセでわたしは辛いことを人に打ち明けられない体質になった。
一方で楽しかったこととか、自分の好きなもの、よかった音楽とか映画に関してはしつこいくらい相手に共感を求めるような面倒くさいやつになった。
辛いことをしっかり誰かに打ち明けられるのってだいぶ重要なんだよな。
体質的にそれができないのって、親が子供に共感してやらなかったからなんだよ。
だからもしこれを見てる親がいるなら、子供とどんな感情も共感してやってほしいと思います。
相変わらず下手な日本語だけど、思い出したくもないことをとりあえず書いてみました。
生い立ち
自分のこと、に少し似ているけれど
生い立ちはこのブログに関して大事な気がするので身バレしない程度に。。
わたしは、地方の自然がとっても豊かなところで生まれ、18歳までそこで過ごしました。
父親はもともとアーティスト(詳しく書けないけど、音楽関係です)、母はファッション関係の仕事をしていたので、だいぶクリエイティヴな家庭でした。
幼い頃から、自分の家ってなんか他とちげーな、と思ってました。
何が、と聞かれるとうまく答えられないけど、なんか普通の家族ではなかった。
父親は子供嫌いで、幼少期はあんまり遊んでもらったりした記憶はない。
父親もお酒が好きで、酔っ払ったときなんかは相手してもらった気がする。
あと1回だけ一緒にお風呂に入ったことだけ覚えてる。そのときにいきなり冷たいシャワーを浴びると心臓が止まるから危ないってことを教わったな。
母親は父に比べれば遊んでくれたけど、だいぶドライだったし、大人と同じような接し方をしていた気がする。
客観的に考えると、母親は母としてというより女としていることを常に大切にしてたと思う、というか今も自分は女だということをかなり意識してる。
だからこそ今は母というより女同士で仲良くいられてる気がする。
両親ともにママ友とか、パパ友みたいな、家族ぐるみの付き合いみたいなのを嫌ってて、小学校の頃なんかは親御さんからも距離を置いているのか、置かれていたと思う。
あとわたしには妹がいます。
妹とは昔からそんなに仲良くなくて、彼女の性格はどちらかというとわたしと正反対なタイプ。
人のこと気にしないで、好きに生きて、言いたいこともズバッと言う、人の顔色気にしないタイプ。だからものすごい世渡り上手。わたしはすごく羨ましいし、そこにコンプレックスを抱いてしまっている、姉なのに。
あと秘密主義なところがあるというか、あんまり自分の話を家族にしない。
わたしが家を出て一人暮らしするようになってから少しずつ仲良くはなってると思う。
あと最近は彼氏ができたとかも言ってくれるようになったかな、、
両親が少し変わってて、幼少期はあんまり日本のアニメを見させてもらえなかった気がする。みんなポケモンとかワンピースとか詳しかったけど、わたしは未だにわからん。
ビーバスバッドヘッドとか下品で意味わからないアニメが好きだったな。
ゲームはあんまり買ってもらえなかったから、親がやってたプレステのバイオハーザードとかやってた。
ゲームボーイも周りはポケモンばっかりやってたけど、1回もやったことなかったや。。
こういう生い立ちでこの自分が育ちました。18歳までそんな家庭にいました。
自分のこと
まず、このブログを書いてる自分について。
1992年うまれの25歳、ゆとりです。
性別は女で、地方出身の東京在住。
大学卒業後は普通に就職して、今年の夏に仕事を辞めました。
今は無職で、失業保険も切れて就活を本格的に始めているところ。
一つ年上の、2年ほどお付き合いしている彼氏と同棲中。
多趣味で、音楽、アート、写真、映画、ファッション、読書、お酒、散歩など、、
あと英語が好きで、海外ドラマとかラジオとか、洋書とか、外国人でも日本人でも英語でやりとりするのとか好き。海外も好き、まだ5カ国くらいしか行ったことないけど、もっと行ってみたい。
英語というか、英語でしか伝わらない、あの空気感というか日本語とは違う雰囲気が好きなんだと思う。あと読書が好きなのに日本語が本当に下手だからってのもあります。馬鹿なんです、わたし。
とある占いによると私は趣味というよりハマるものを常に探しているようです。
あたってます。
音楽や写真、アートに関しては自分が作るのも、鑑賞するのも大好きですが、
気が向いたときしかやりません。どれも自己満で、かじっているというようなかんじ。
お酒は、強くもないのにやや依存気味なレベルで、人と話しながら飲むと、普段話せないようなことも深く話せたり、場の雰囲気がよくなるからすき。
一人で飲むのも大好きで、お酒とタバコがあれば一人でもだいぶ楽しんじゃうタイプ。
(ちなみに今も飲んでるレベル、やばい。まだ16時。今日は同棲している彼氏の帰りが遅いので、しこたま飲んで帰って来るまでには正常モードに戻す予定、クズ)
お酒は飲むのがすきであって強くはないので、一人で飲んでも歯止めがきかず飲み過ぎて二日酔いになるタイプ。学習しない、馬鹿なんですねわたし。
性格は、負けず嫌いで自分はスペシャルだと思っているタイプ。のくせに自分に自信がなくて人の目をかなり気にして常にストレスを感じている。頑固。人の思っていることを手に取るようにわかってしまったり。人を笑わせるのが好きなのに悲観的。根が真面目すぎてとことんやらなきゃ気が済まないタイプ。なのにほんとに大事なことで手を抜いてしまったりする。一人が好きな寂しがりや。オタク気質の性格にだいぶ難ありです。
こうやって書くと自己分析みたいでおもしろい。。
なんで自分がこういう自分になったかをこのブログを通して書いていけたらな〜と思います。
趣味に関しては、だいぶコアなところがあって、すごく書きたいかんじもするのですが、コアすぎて身バレしても嫌なので、とりあえず抑えます。
いつか趣味に関しても書けるときが来ればと思います。