思い出したくもないこと
カテゴリの通りですが、わたしは犯罪被害に遭ったことがあります。
2回あります。
25年間生きてきて、かなり自分の性格なんかに影響した出来事。
これは誰かに共感してもらいたくて書くわけじゃないです。
今まで溜め込んできたものを吐き出したいのもあるし、
ブログ開設にあたっての記事でも書いたように、
同じような悩みを抱えている人が
たまたまこの記事を見つけた時、同じ人もいるんだという安心感を与えられたらと思ったから。
人って生きてるうちに辛い思いとか経験なんてたくさんするだろうけど、
その度に誰かに相談しても、100%はわかってもらえないと思うんですよね。
同じ思いや経験をした人にしか、その辛さとか悩みとかってわかりあえない。
そう思うからこそ、誰でもいいから同じ経験した人ってだいぶほっとする存在というか、
安心できる場所になる気がするんです。
わたしの場合は自分の悩みを家族にも、誰にも100%打ち明けられなかったから、
ここに書いて、もし同じことで悩んでる人がいたら、ここにぶつけてほしいなあと思って。かきます。
最初に被害にあった時のことをかきます。
これがだいぶ後々の自分に影響したと今でも思ってます。
強制わいせつか、たしか強制わいせつ致傷です。
詳しく書いたら身バレしそうなので、端折って書きます。
小学校の高学年くらいの冬、お母さんと妹と冬休み中にドライブへ出かけました。
とんでもない田舎に住んでたので、何かの用事のついでにドライブしつつ家に帰っていた、というのが正しいですね。
田舎は基本的には車移動が主流で、歩いてる人ってあんまりいないんです。
でも、その日母が田舎道を車を運転していると、前方に歩いている男の人。
急にヒッチハイクのような手振りをしてきました。
母が驚いて車を止めると、遠慮なく男が乗り込んできて。
その後どうなったかというと、車の中でわたしは馬乗りになられて襲われ(といっても胸を思いっきり揉まれた?)、逃げ出そうとしたところで思いっきり蹴られ、それでもコンビニまで走って逃げて無事犯人逮捕、という経験をしました。
恐怖のあまり記憶は曖昧ですが、その出来事は強烈な印象をわたしの人生に残したんですね。
たしかその後犯人は起訴されて、裁判の後慰謝料か何かをこちらは受け取ったんだと思います。
でも当時小学生のわたしにはそういった法的手続きは詳しく説明されず。
事件のあとは普段何も買ってくれないのにゲームを買ってくれたり、家族でディズニーランドへ行ったりした。
今思えば両親はそれでわたしと妹の傷が癒えると思ったんでしょう。
そしてその後、家族の中でその事件について触れられたことは一度もないです。
一度も。わたしの家族の中ではもうそれはタブーと化してます。
今でも家族の前で話す気にはならないです、わたしだけじゃなく家族全員が。
もうあのことはなかったことにされてる。
本当の苦しみはここからで、その後わたしは訳も分からない恐怖に怯えることになる。
事件後買ってもらったゲームをしてても急に怖くなるし、
外で男の人が後ろにいるだけで心臓バクバクしたり。
一人で電車に乗っている時に酔っ払いの男が隣に座っただけでパニックになり、
泣き叫びながら家に帰ったりとか。
あの”酒臭さ”にだいぶ敏感になって、夜の電車なんかは恐怖でしかたなかった。
そのときはこの事件が原因なんて自分自信理解できなかったんですよね。
今思えば確実にPTSDや急性トラウマだったと思うんだけど
うちの両親は前述の通りだいぶドライで、過保護とは真逆の感じで
そういう精神的な病は気持ちの問題、みたいな捉え方をする人で。
両親というかとくに母親が。父はもはや家族のことには無関心だったから。
今でもこの話はタブーだし、未だにわたしは当時の記憶が蘇って悪夢のようにうなされるけど、相談できず終いで。
最近あることがきっかけで精神科とカウンセリングに通うようになったのですが(これもブログで書こうと思います)、
臨床心理士の方には、それはわたしの母がちゃんとケアしなかったからだと言われました。
自分でもそう思いますね。
母は、強く生きろ、という教育方針で
わたしがいじめられて帰ってきても、お前が泣いてどうすんだ、という感じで。
常に強く生きることを強いられてきました。
だから18歳になって高校卒業したら一人暮らしをする、というのがルールだったし。
一人前になって、とにか強く生きて行くことが人生において大事なんだ、という教育方針。
でも、そんな子供の頃に経験した強烈な事件って、一生心に残るものです。
なんなら今でもそれによって精神的に病んだり、人の目が気になったりするのもそのせいだろうしね。
まあもし、自分の子供が同じような目にあって
たまたまこの記事にたどり着いたならその親に言いたいのは、大事なのは
怖かったよね、と共感してやることです。
いじめられて泣いて帰ってきても、
負けるな!なんかじゃなくて、とりあえずは
怖かったね、辛かったね、いやだったよねって共感してやること。
強くならなきゃ、なんてのは親が言うことじゃなくて
本人が自覚することが大事だから。
誰にも恐怖をわかってもらえなくて、とくに長女みたいな責任感強い子に関しては
自分のなかで一生懸命解決しようとして、いずれぶっ壊れる。
現にわたしは無意識にぶっ壊れて、今精神科通いです。
精神科に行くようになったのも、第三者の人のアドバイスのおかげであって
母は精神病みたいな類のものは全て気の持ちよう、っていうスタンスの人だったから
自分がこんなところに通うとも思ってなかったし。
わたしはそういう親の教育のもと育ったから、未だに鬱とかそういうのって心とか自分の問題だと思ってしまう。
でも専門家に聞く限り違うらしい。
自分の親が間違ってたらしい。
親にとっても、自分の子供が経験した嫌なこと、怖いことに共感するのって負担だし、
うちの親はそれを避けて、嫌な言い方だけど楽してきたんだよね。
しっかり向き合わず、強くいろっていうだけだったから。
本当に愛のある親でいたいなら、子供の傷を癒すなら、その子の恐怖や辛さを共感しろ。
わたしの親はそれができなかったし、それを避けてきた。
楽して子育てしてきたんだな。
そのクセでわたしは辛いことを人に打ち明けられない体質になった。
一方で楽しかったこととか、自分の好きなもの、よかった音楽とか映画に関してはしつこいくらい相手に共感を求めるような面倒くさいやつになった。
辛いことをしっかり誰かに打ち明けられるのってだいぶ重要なんだよな。
体質的にそれができないのって、親が子供に共感してやらなかったからなんだよ。
だからもしこれを見てる親がいるなら、子供とどんな感情も共感してやってほしいと思います。
相変わらず下手な日本語だけど、思い出したくもないことをとりあえず書いてみました。